DIARY 4
2001年11月22日
ホリデー初日です。この日は帰省する人が沢山出るため、私たちは朝の5時には
自宅を出ようと計画していました。9.11のあの事件以来、突然道路が閉鎖されたりする場所が出るので、マンハッタンを脱出するのにまず時間が掛かることを予想していました。
暗闇の中車に荷物を詰め込みましたが、まるで1ヶ月近くも旅行する人のような荷物の量です。それというのも、万が一のことを考えてぽっちきが普段と変わらない生活を出来るようにと思い、トイレ、ケージは勿論、彼女に必要なものを考え付く限りの全て用意していたのです。

車を出発させ、まずはリンカーントンネルへと向かいました。
NJ→PA→OH→KY(ケンタッキー)と抜けていき、(彼の通った大学はオハイオ州内でしたが、ホストファミリーのお宅はケンタッキー州にありました。)片道約11〜13時間の道のりです。片道11時間〜13時間と言えば、それこそ成田からNYのJFKまで着いてしまう時間と変わらないと思います。ヨーロッパ線に至っては、10時間くらいで成田まで帰ってきた記憶もありますし。

さて、肝心のぽっちき嬢ですがキャリーバックには入れられるは、得たいの知れない物に乗せられてさらにそれが動くわ・・・もう大騒ぎでした。高速道路に乗って走りが安定するまで危険なので、ぽっちきのことは車内でもバックに入れてありましたが、それが余計に恐かったのか悲壮な声を出して訴えます。
「ミィーーーーッ、ミィーーーーッ(泣)!!!!!」
出してあげたいところですが、高速に乗るまでは車も揺れますし道も悪いです。そして運転している夫にも危険なのでここは我慢です。

ようやく高速に乗り、走りも安定してきました。外もうっすら明るくなっています。
ここでぽっちき嬢リリースです!バックから出て安心したのか、急に鳴き止みました。そして、私たちにご挨拶すると次は車内の探検です。
運転している主人のところで行ったり、後ろの荷物入れの中を確認したり・・・。中でも、運転席の主人の上に乗っかった時はヒヤヒヤしてしまいました。さすがにハンドルには手を出さず、肩の上やひざの上に乗っていたので、運転に影響せずほっとしました。
探検が終わると、次は外を興味深そうに眺めていました。隣の車線を通り過ぎる車が気になる様子です。
車が通り過ぎるたびに、ぽっちきの顔も同じ方向へと動いていました。(笑)
高速に乗ってからどれくらいの時間が経った時でしょうか、外を眺めるのも飽きたのかそれとも疲れて来たのか、ぽっちきは寝始めました。

やがて車は、NJを抜けてPA(ペンシルベニア州)に入りました。PA州はとても横長の州で、今回の旅路で一番長く感じたのがこのPA州の横断でした。
運転している主人には悪いなぁ・・と思いながら、私もぽっちきとぐっすり寝入ってしまいました。(その間に、主人には私の爆睡写真を撮られてしまいましたが・・・)

PAを横断する間に途中休憩を取り、用意していたお弁当を食べました。余談ですが、私は実はお弁当に入っている冷えたおにぎりが好きだったりします。どの辺りが美味しいのか私にもわかりませんが、昔からどうも好きみたいです。(^^;)変な嗜好ですよねー。

食べ物の話をすると止まらなくなるので、次に行くとします。
朝5時代に自宅を出て、昼も過ぎました。本当に長い道のりですが、私はこちらでも免許がないので主人が運転してくれています。本当に感謝感謝です。やっぱり免許を取るべきですね。。。日本の免許は持っているのですが、私はなかなか仮免を突破出来ませんでした。「車庫入れ」が苦手だったんですね・・・「あーやっちゃった!」って具合によくぶつけてました(苦笑)
路上に出てからは慣れたのか、調子が良かったです。でも私が教習したコースが凄いコースで、「谷原の交差点」をよく通過したのですが、ある時ニュース番組の特集で「日本一運転手泣かせの交差点」のようなことを言っていました。
「谷原」というのは関越自動車道の出口になり、埼玉・群馬以北方面からのトラックが東京向けに入ってくるポイントでもあるようです。ようは、東京への入り口で、交通量がとても多いってことですね。
当時何も知らない私は、普通に通過していましたが凄いところだったんですねー。
あ、また話がそれてしまったので、次行きましょう。(失礼!)

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