2001年9月11日

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はじめに・・・
界中に衝撃が走ったこの日。恐怖、悲しみ、怒り・・・言葉に言い表せないくらいの何かが込み上げてきます。
ここNYで、どれ位の涙が流されたでしょうか。あの事件は歴史上に深く刻まれ、
また決して忘れてはいけない事件であると思います。
私は直接あの現場にいた訳ではありません。しかし、事件当日、事件後・・・ここNYで考えさせられることが沢山ありました。私と同じような方は他にも沢山いらっしゃると思います。
当人がどのような状況に置かれているかによって、事件に対しても様々な
反応があると思います。
ここに書いてあるのは、あくまで私が見たこと、聞いたこと、周りで起こったことです。
犠牲になられた方々のご冥福を心よりお祈りすると共に、そのご家族、企業関係者の方、救助活動に関わられた方々、そして直接被害には遭わなかったけれど心の傷を負った方々。程度や立場は違えど、皆が犠牲者であることはかわりません。そんな誰もの傷が早く癒え、元気になることを祈っています。

事件の当日
ちょうどその前後、日本から主人の母と妹がこちらに遊びに来られていました。
9・11は、私とその妹さんとで郊外のアウトレットに行こうと予定していました。
アウトレットへ行くバスが9時発だったため、私は待ち合わせ場所に行くために自宅を
8時半位に出発しました。
私達の自宅は国連本部の近くなのですが、向かっている途中も特に何も変わった様子は
ありませんでした。5番街に出るため、EAST側からWEST方向へと横切る形で向かっていましたが、道行く人々も車も、普段と何一つ変わりはありませんでした。
妹さんとも会え、これからバスに乗ろうとしたその時ツアーのガイドさん(初めて行く場所だったので安全策を取り日系の代理店のツアーを申し込んでいました。)から、「先程WTCで、何か事故があったらしいです。」と伝えられました。(WTC=WORLD TRADE CENTERの略)でもその時はまだ混乱した様子もなく、(おそらくまだはっきりとしたニュースが入っていなかったのでしょう)取り敢えずバスは出発しました。その時点では、
誰しもが事の大きさを知りませんでした。

WTCが・・・!!
アウトレットに行くのに、おそらく「リンカーントンネル」を通過するルートだったため、バスは
南下して行きました。すると、どうも街の様子がおかしいことに気がつきました。
人々が叫びながらある一定方向を指していたのです。そのあまりの異常さに、私たちも
「もしかしたら例のWTC・・!」と思ったその時、前方におびただしい黒煙を噴くWTCそのものがありました・・・しかも2棟ともです。何かがおかしい・・・でもその前にバスの中は一瞬にして凍りつき、あまりの衝撃に叫び声も上がりませんでした。「どよめき」に似たようなものが聞こえてきました。私も同じように驚きのあまり、一瞬何が起こったのかわからなくなってしまいました。
そして次に見えた瞬間、2棟あったビルは一棟だけしか見えなくなっていました。
混乱のあまり、WTCが1棟か2棟かということすらその時は考え付きませんでしたが、
確かに見えたのは1棟のみでした。おそらく、バスから見えなかった時に崩壊してしまったのだと思われます。
その時既に、交通は麻痺していました。警官が「戻れ!!」と指示する中、バスも戻ろうとしましたがままなりません。マンハッタンに通じる(特にロウアーマンハッタン方面)道路、橋全てが閉鎖され、誰もがひたすら北上するしかなく皆が同じ方向へと進んでいたからでしょう。

電話が繋がらない・・!
たまたまその日、私は主人から携帯電話を借りていました。会社にいる彼と何とか連絡を取りたかったのですが、電話回線もパンクしているのか全くつながりませんでした。
時間を掛けて、バスはやっと戻って来ました。街中に人が溢れ皆がテレビやテロップの前に
集まり何が起こったのかをただ呆然と見ていました。
見ると、オフィスビルというビルから人が溢れて出て来ていました。おそらくその日はどこも
業務を打ち切り、自宅へ帰るように指示を出したのだと思います。
自宅に戻ろうか迷いましたが、主人とお母様がいなかったので私たちは取り敢えず
妹さんとお母様が泊まっていたホテルに向かいました。

そうしているうちに、ようやく主人と連絡がつきました。彼も何度も私に掛けていたよう
ですが、やはりつながらなかったようです。街の公衆電話にも長蛇の列が出来ていましたが
やはり回線がパンクしていたようです。
ホテルでようやく4人揃い、自宅へと向かいました。先程も述べたとおり、皆が一定方向へと
歩いていて本当に異様な光景でした。WTCの方向からは、おびただしい黒煙がまるで雲のようにただよって来ていました。雲と云ってもうっすらとした雲ではなく、入道雲のような大きな塊です。
ミッドタウンとWTCのある場所は離れているのに係わらず、煙はとても間近に思えました。

地元のニュースにて
自宅へ戻ると、ちょうどブッシュ大統領の会見が始まるところでした。
まずこの事件が「事故」ではなく、テロリストによるものであること。そして必ずその犯人と
戦う準備があること。そして辛いかもしれないけど、なるべく普段と同じ生活をして犯人に
立ち向かう姿勢を見せること・・などなど。(おそらくこのようなことを言っていたと思います。
英語がかなり怪しいので、違ったらごめんなさい。)

会見が終わった後、私たちは日本語放送と現地の放送と両方で確認をとっていました。その中で、今でも忘れられないのが家族2人がWTCで勤務していた男性が、埃まみれになりやつれ切った様子でキャスターの横で訴えている場面でした。(こちらの放送局の番組です。)震えが止まらない手を、キャスターに握ってもらいながら必死に口を開こうとしていました。おそらくその男性は、テレビに出て訴えることで何か家族の安否情報を知ろうとしていた
のだと思います。写真を手に泣きながら家族の名前や特徴を訴え、誰か知っている人はいませんか?と繰り返していました。涙がこみ上げて来て、本当に見ているのが辛かったです。

安否報道
私は日本にいたとき、金融機関で働いていました。転職をしていましたが、最初にいた日系企業のNY支店が、WTCに入っていたのです。
大きな会社だったので当然NY支店も規模が大きく、?百人単位で社員がいたようです。
彼らの安否も非常に気掛かりでテレビから目が離せませんでしたが、無事であることが確認されました。でも確認が取れない企業があり、本当にいたたまれない気持ちで一杯でした。
日系企業の話をしましたが、こちらの企業はいうまでもありません・・・。債券の会社で有名な某C会社が社員の7割、8割近くが犠牲になってしまったようでした。たまたま社長さんは子供を学校まで送るため、その日は遅れて出社する予定だったそうです。そして生き残った社長さんが、「犠牲になった社員と残されたその家族のためにも、一刻も早く業務を再開させなければ・・・」と泣きながら訴えていました。。。
また、私が次に行った会社の本社がWTCの隣にあったらしく、そこも被害を受け立ち入り禁止になってしまったようです。

ちなみに私の主人は金融機関に勤務している訳ではありませんが、金融関係の仕事を担当
しているため、取引する相手はそう云った所になります。そのため、仕事上での知り合った方々が沢山いらして、業務上も大変なことが色々とあったようです。

有事に関する感覚の違い
事件後は、どこに行っても星条旗を目にしました。勿論、哀悼の意を示していることもそうですが、「この星条旗の下に一つになり、皆で敵に立ち向かう!」という強い姿勢も感じられました。建物や家の窓や玄関、車や自分の洋服やかばんにも星条旗をつけていました。
これが、日本とは違う国民性の差なのだなと感じます。例えば日本で日の丸を掲げて「旗の下で一つになり外に力を示す」ようなことは起きないんじゃないかなぁ・・と思います。
それは日本は敗戦国であり、その教訓から何か有事があった時は「皆で力を併せて攻撃しよう」ではなく、「さあ・・・守りに入ろう」ではないでしょうか。
何を第一に考えるかが、きっと違うような気がします。
また、大部分の一般の人を見ていても普段は「個人を重んじて関わらない」感覚があっても、いざとなった時は助け合う習慣があるのだなぁ・・とも感じました。勿論そうでない人もいるんでしょうけど。
これがもし日本だったら、「普段は表面上もしくはシガラミで付き合っていても、いざとなったら知らん振り」・・・のような気がしてきます。

歴史上のことを考慮すると、日本は島国で陸続きの国ではありませんので当然他国から攻められる機会が多くはないでしょう。。。ですから、有事に関しての感覚が違うのでしょうか?
戦争が起こる原因は様々だとは思いますが、その一つに「宗教」があると思います。
今回それを改めて実感させられました。今回のテロ首謀者と云われる、イスラム圏の某人物は、「十字軍の遠征から繋がっている・・・云々・・」なようなことを発言していたと思いますが、私たちからすれば、「まぁ、なんて昔の話なの」と云った風に感じてしまいます。
(まぁ・・・日本も過去のことで溝が深ーい国はいくつかありますけど。例の彼らの方は、それにしても昔ですね。)日本は宗教もなく、単一民族国家(一応・・・というか見た目は)という珍しい国であると思います。(特に先進国という意味で)ですから宗教紛争や民族紛争とも縁がなく、「常に危機に立たされている」という状態ではないのでしょう。

対照的な国家の例として、フランスがあります。言うまでもなく隣国とは陸続きの国家です。
また、かつて植民地だったところをまだ保有していたりと日本とは状況が違います。
ですから常に他民族からの侵略(自分側からも)、攻撃に備えて対応する習慣がついたのだと伺えます。フランスに限らず、ヨーロッパの国々は似たようなところが多いと思いますが。
日本が「戦争」として他国から攻撃を受けたのは、どれ位あるのでしょうか。私が思いつくのは大河ドラマでもあった「蒙古襲来」、そして第2次世界大戦の2つと云ったところです。
それに比べてフランスなどは、非常に戦争の歴史が深いと思います。私は世界史はあまり得意ではないので(嫌いじゃないのですが)詳しくはありませんが、思いつくだけで様々な国と戦争をしていると思います。ようは、国として慣れていて感覚が違うのでしょうか。
これは聞いた話ですが、数年前にテロ組織がフランスを狙った際に、やはり同じように民間の旅客機を乗っ取って某所に突っ込もうと計画していたそうです。
ところが、旅客機を乗っ取った後で燃料がないことがわかり、給油している最中にフランスの
特殊部隊が突入して事件を未然に防いだことがあったそうです。
まぁ、給油しているので突入しやすかったことは事実でしょうけど、やはりフランスの特殊部隊が「場慣れしていてかつ、優秀な集団」という話も聞きました。やはり歴史において根付いたものは、なかなか変わることはないのでしょうか。

ただ、日本のような国がいいか、そうでないほうが良いかはわかりません。
時と場合によって、どちらがいいかが変わってくるのだと思います。
こういうことが起きると、その感覚はともあれ「日本って平和な国だったんだな・・」と
感じざるを得ませんでした。とはいえ、最近は日本でも電車の中で暴力を振るう人や、
ピッキングや無差別殺人、通り魔犯罪をしたり・・・決して治安がいいとは思えません。
まずは常に自分の心の鍵を閉めてないと駄目なのですが、こんな風に思うと「あー平和な
世の中ってやってくるのかな・・」と思ってしまいます。ま、警察はもっと増やすべきなの
でしょうけど・・・。


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